江戸時代
政府公認の宿場町として盛り上がる
江戸時代はじめ、五街道のひとつである東海道が整備されると、街道沿いの戸塚区には江戸から5番目の宿場として「戸塚宿」が置かれました。江戸からの距離は約10里(40km)。この距離は、当時の成人男性が1日で歩く距離として一般的だったため、戸塚宿は早朝に江戸を立った旅人が一泊目の宿を取る場所として最適で、宿泊客も多く賑わいました。
また後に、庶民が多く旅をするようになると、鎌倉・江の島や大山参りの観光客も増え、それぞれの方面への分岐点にあった戸塚の宿場はますます発展します。
現在の戸塚駅周辺の商店街が、宿場町の名残を残しています。
明治時代
戸塚駅が開業!
明治5年(1872年)に新橋―横浜間で開通した東海道線が、明治20年(1887年)には国府津まで延伸。東海道の宿場周辺に、戸塚駅が開業しました。後の明治22年(1889年)に神戸までの全線が開通すると、列車での移動が盛んになり、駅のある戸塚は周辺地域の行政や商業、交通の中心になっていきます。
折からの軍需拡大により新興工業地域として発展し、また柏尾川の桜も東海道線の桜の名所として知られて各地からの来客で賑わいました。
昭和時代
高度経済成長期にベッドタウンとして成長
昭和30年代、地方からの大都市近郊への人口の流入が増えてくると、戸塚区でも急激な宅地開発が始まります。宿場から外れた東海道沿いや、丘陵部に新興住宅地が造成され、ベッドタウンとして成長。
東京駅まで電車で40分という立地で、自然も多く落ち着いた住宅地という好条件もあり、現在は横浜市18区の中で4番目に人口の多い区となっています。