江戸時代
開港に合わせて橋を沢山つくった努力の3ヶ月
西区の北西から南東へ通る横浜道は江戸幕府が横浜を開港することを決めたことを受けて整備されました。開港までに時間的余裕が無い上、当時の横浜道は湿地帯で、橋を多く架ける必要があるといった問題がありました。そこで幕府は横浜道に架かる橋をわずか3ヶ月の突貫工事で完成させ、この努力が新開地横浜への足がかりとなりました。
明治時代
金星が太陽と地球の間を通る様を観測
明治7年12月9日に太陽、金星、地球が一直線に並ぶため、地球から金星を見ると金星が太陽面を小さな点となって通過していく現象を確認するべく、わざわざメキシコの観測隊が日本を訪れました。観測隊が訪れたのは西区にある野毛山で、当時の天候は快晴であったことから、観測は大成功となりました。
昭和時代
中区から分かれる形で西区誕生
西区はもともと東海道の神奈川宿や程ヶ谷宿、芝生村、岡野新田及び藤江新田などの地域から構成されていました。その後明治から大正時代においては様々な変遷があり、昭和に入って昭和19年に中区から分かれる形で誕生しました。