江戸時代
沢山の新田が開発される
神奈川県北部に位置する相模原市は、江戸時代に相模野の開発として、幕府の財政を立て直すために多くの新田が開発された地域です。幕末までには上矢部新田、大沼新田、淵野辺新田などが開かれ、石高を上げる施策に一役買っていました。
明治時代
交通網の急発達にあわせて町も発展
明治時代に入り相模原市は近代化がよりいっそう進みました。特に明治41年に開通した横浜鉄道は基幹交通として重要な役割を果たし町は急速に発展を遂げました。横浜鉄道は現在もJR横浜線として多くの人が利用しています。
昭和時代
戦争期間の跡を別の形で活用
戦前、相模原市を軍都とする計画があったことから、市内には多数の軍施設が建てられることとなりました。そして終戦後は多くの施設がアメリカ軍に引き継がれることとなりますが、一部の軍施設については大学や公園とするなどその活用が見られます。