江戸時代
鷹狩のための藤沢御殿があった
藤沢市は相模湾に面した湘南エリアにあり、その名前は太平記に記されている事から14世紀頃には使われていると推察されています。安土桃山時代には一般的に藤沢御殿と呼ばれる徳川家の砦の役割と鷹狩りのための別荘を兼ねた施設を建立し江戸時代初期に活用されていました。しかし1657年に発生した江戸の大半を焼いた大火事である明暦の大火からの江戸城復興のため建物を取り壊し、その跡地は耕地となりました。
明治時代
日本の海洋生物学のはじまりの地
明治に入ると日米修好通商条約締結や開国により横浜などに住みだした異国人が、環境のいい江ノ島(現藤沢市)を訪れるようになりました。来日していたアメリカの動物学東大教授はシャミセンガイの研究のための施設である臨海実験所を日本で初めて建てた事から日本の海洋生物学はじまりの地と呼ばれています。ちなみに今も地元民に愛されている江ノ電が開通したのもこの頃明治35年で、日本で6番目の電気鉄道でした。時代は流れ第二次世界大戦には藤沢海軍航空隊や海軍電測学校が設置されるなど海軍の重要拠点の一角を占めました。
昭和時代
オリンピックのヨット競技が行われる!
戦後に入ると海に面した立地と環境の良さから海に関する話題が目立つようになります。昭和34年にアメリカのマイアミビーチ市と姉妹都市となり東洋のマイアミビーチとして売り出し、昭和39年に行われた東京オリンピックではヨットレースが藤沢市内の江ノ島で行われるなど藤沢の地名を一躍世界に広める事となりました。最近では主婦が幸せに暮らせる街ランキングセ全国1位になるなど住みやすい街としても知られています。