江戸時代
別々の郡の別々の村、計14つがベース
横浜市港南区は江戸時代においては武蔵国久良岐郡に所属していた上大岡、雑色、関、松本、最戸、久保、宮ヶ原、宮下、金井、吉原の10村と相模国鎌倉郡に所属していた永谷上、永谷中、上野庭、下野庭の4村の計14村から成るエリアとして栄えました。
明治時代
当時創立された日野小学校は未だに続いている
港南区にある日野小学校は明治時代の1873年に設立された小学校で、設立から140年以上たった現在も存続しています。当時は「第一大学区第七中学区五十五番小学日野学舎」という名称でしたが、その後いくつか変遷を受けて、1947年に現在の「日野小学校」に改称されました。
昭和時代
大規模な開発がどんどん進んだ高度経済成長期
昭和時代になり、戦後の高度経済成長期においては各地において大規模開発が盛んになり、港南区においても同様でした。1950年代後半に市営バスが整備されたのを皮切りに、1960年代にはスーパーマーケットなどのビルが建ち並ぶようになり、1970年代には住宅街も整備され、人口は増加しました。この間、JR根岸線の全線開通や地下鉄の延伸などインフラ面においても改善が図られました。