江戸時代
生麦事件が大波紋を呼ぶ
幕末の安政6年(1859年)6月2日に横浜が開港すると、港周辺には外国人が居留しはじめ、東海道の通る鶴見区も港と江戸を行き来する外国人の往来が増えました。
攘夷に燃える武士と外国人の揉め事や殺傷事件が頻発する中、文久2年(1862年)8月21日、江戸への出府を終え京都へ向かう薩摩藩主の父・島津久光の行列を馬に乗った外国人4人組が横切り、藩士に斬り殺されるという事件が起こります。
これが世に言う「生麦事件」。後に幕府を揺るがし、政治と外交に多大な影響を与えた事件として有名です。
明治時代
京浜急行の前身が立ち上がる
明治32年(1899年)、日本で三番目、関東で初めての電気鉄道である「大師電気鉄道」が旧東海道の川崎宿に近い六郷橋と川崎大師の間で開通します。この年、京浜電気鉄道と社名を改めたこの会社が、現在の京浜急行の前身です。
線路は順次延伸し、明治38年(1905年)には品川―神奈川間が開通。鶴見市場駅、京急鶴見駅、花月園前駅、生麦駅の4駅が現在の鶴見区内にあります。
昭和時代
鶴見川が一級河川に指定される!
昭和39年(1964年)7月に改正された河川法で、区内を流れる鶴見川が一級河川に指定されました。
東京都町田市を源流とし、鶴見区の河口から東京湾に注ぐこの川は、長さ約42kmのうちの85%以上が市街地化され、流域人口密度は全国トップの都市河川です。
昔からたびたび氾濫し、またゴミや水質汚濁などの問題も多かった鶴見川ですが、現在では治水も進み、水質改善に向けての努力も続けられています。